人物語CASE2親子2代でこの道一筋

ばんえい競馬ジョッキー

西将太さん(27歳)
父は「ばんえい競馬」の元騎手で、現在調教師の西康幸。
伯父もまた、元騎手で現在調教師という西弘美。
いとこは、現役騎手の西謙一。西ファミリー4人目の騎手。
静内農業高校生産科学科を卒業後、
帯広競馬場で厩務員として厩舎に勤め、
2010年、騎手試験に合格。2011年1月9日初騎乗。
2012年のG1「ばんえいダービー」で見事優勝。

ばんえい競馬ジョッキー
※内容は取材当時のもの。

2-1小さい頃から厩舎でお手伝い

子供の頃から馬の世話が楽しかった
馬の勉強ができる静内農業高校へ

父親がばんえい競馬の騎手をしていて、
北海道各地を回っていたので、
生まれてから小学6年生までは、
親戚のいる青森で過ごしていました。
だけど、夏休みや冬休みは北海道の競馬場に行ってましたね。
小学生の時から騎手になろうと決めていました。
馬の世話をするのが遊びみたいなものだったので、
友達と一緒に遊ぶよりも、
厩舎に行って馬の世話を手伝うほうが楽しかった。
中学を卒業したら、すぐ競馬場で働きたかったけれど、
親が高校には行けというので、
馬の勉強ができる静内農業高校に行きました。
馬術部にも入って、そこで馬に乗る感覚を覚えました。
馬に乗る乗馬と、ソリに乗るばんえい競馬は違うけど、
人と馬をつなぐ「ハミ」の操作は同じ。
共通している部分もあるので
今に繋がっていれば嬉しいですね。

フィルタ 2-1

2-2親子2代でばんえい競馬の仕事に

ばんえい競馬の騎手になるのに
迷いはまったくありませんでした

静内農業高校を卒業したらすぐに、
帯広競馬場で厩務員として厩舎に勤めました。
私が勤め始めた当時は、ばんえい競馬がなくなるかもしれない
という大変な時期でしたけど、
サラブレッドに乗るつもりはありませんでした。
子どものころからずっと見てきた世界なので
「オレの競馬はここにしかない!」と思ってました。
だから、ばんえい競馬の騎手になるのに
まったく迷いはありませんでした。
ばんえい競馬ができるのなら、どこにでも行くつもりでした。
高校時代から長い休みの時は帯広の厩舎に通っていたので、
早朝、まだ朝日が昇る前の午前4時起床でも、
馬と触れ合っているのが楽しかった。
調教を手伝うようになってからは
馬が成長していく様子を見ているのが楽しかったですね。
馬に夢中になりすぎて、
母親のいる実家にはほとんど帰ってないんですよね。

フィルタ 2-2

2-32010年に厩務員から騎手へ

2つの障害を乗り越える200mのコース
馬の気持ちになってレースを戦う

2010年、騎手試験に合格して騎手になりました。
実は父からは騎手になることを反対されていたんです。
父もそうですが、私も体が大きいほうなので
減量が大変だからです。
それは入る前から分かっていたので、覚悟の上でした。
厩務員の時は自分が世話をしている馬がかわいかったけど、
騎手になったら、どんな馬に乗っても勝負できるように
どの馬とも平等に付き合うようになりましたね。
初めてレースで騎乗したのは2011年1月9日です。
ばんえい競馬は200mの直線コースで
最高1トンの重さのソリを曳いて競うんですが、
途中、高さ1mの第一障害と約1.6mの第二障害があります。
馬もずっと200mを全力で走れるわけではないので
コースのどこかでスピードが緩む時があるんです。
馬もしんどくなってくるので、
それを感じて休ませたり、気合を入れたり。
だから、レース中は馬の気持ちになって乗っています。

フィルタ 2-3

2-42年目で「ばんえいダービー」優勝

今シーズンは100勝が目標
あいつに乗ってもらいたいと言われる騎手に

初勝利は2011年1月24日でした。
今までで一番うれしかったのは
2012年の「ばんえいダービー」優勝ですね。
まだ2年目で出られるとも思ってなかったので、
とてもうれしかったのを覚えています。
優勝した時に乗ったアサヒリュウセイは、
2歳馬の時から乗っていた馬だったので、とても乗りやすかったですね。
実は、僕自身、今シーズンは一番成績が良いんですよ。
今までは年間で60~70勝くらいだったのに、
今年度は1月でもう80勝もしていて、
自分でもびっくりしているんですよね。
だから今年度は年間100勝というのを目指しています。
今の目標は、人に認められる騎手になりたいということ。
あいつ、上手くなってきたなって、
調教師やオーナーから「あいつに乗ってもらいたい」
「将太でいい」じゃなく「将太がいい」と言われるような、
そんな騎手になりたいですね。

フィルタ 2-4

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